考えてみれば当たり前ですが、メディアが進化(劣化しにくくなる、記録密度が上がる・・)するほど
再生する、情報を取り出すのに手間がかかるようになります。
DVDは高い記録密度と情報の劣化のしにくさ、媒体コストの安さなどのメリットがありますが、再生するのには、DVDプレーヤーと、テレビと、そして電源が必要です。
フラッシュメモリの記録密度もすさまじいものがありますが、情報を取り出すためには、必ずなんらかのCPUと再生機器、電源が必要になる。
ビデオテープやカセットテープも、再生機器が必要だという点では同じですが、
アナログで記憶されているのでまだしくみは単純です。(ヘッドで発生した電流を増幅するだけ)
レコードと蓄音機になりますと、ここでやっと電力の制約から解放されます。オルゴールも、そうですね。
本や新聞などの紙メディアにいたっては、再生機器不要、昼間であれば電源も要らないという簡単さ。
さらにさかのぼって、昔の人が書いたであろう壁画にいたっては、言葉による記号化もなされていないので、言葉を学習する必要もなく情報を得ることができるんですよね。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
さて、なぜこのようなことを考えたかといいますと、
今後 メディアが進化していくにあたっては、情報の「取り出しやすさ」も
大事にしなくてはいけないんじゃないか、と思ったのです。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
単純に考えて、再生装置が高度化するということは、価格も上がっていくし、操作も面倒になります。
世代、所得や階層の格差、国や地域間の経済発展の格差、などのデバイド、分かれ目が、「情報を取り出せる人」と「取り出せない人」を分断させる結果になっては、非常に残念ですし、
メディアの進化はそれを意図したものでは決してないと思います。
さらには大規模災害や戦争、石油の枯渇などによる致命的な文明の後退がおきた場合に、人類の歴史と経験、知恵の蓄積を後世に伝えていくことができるだろうかという疑問があります
(話が飛躍していますが・・けっこう本気です)
たとえば、いちど人類が滅びたことを考えてみましょう。
その後、新しい知的生命体が誕生します。
その知的生命体は、人間とはちょっと違うプロセスかもしれないけれど、徐々に文明を発達させます。
縄文時代ぐらいの彼らが、人間の書いた本を発掘したとして、解読するのには相当困難を極めるでしょう。
江戸時代ぐらいの彼らは、本なら解読できても、発掘したレコードを解読するのは、まだ無理でしょう。
明治時代ぐらいの彼らは、レコードを聞くことはできても、ビデオテープのしくみは理解できないでしょう。
21世紀の我々に相当する彼らは、きっと、DVDやUSBメモリ、ハードディスクに記憶された情報も難なく読み取れると思うのですが、
それまでの歴史のなかで、発掘されたメディアはごみとして捨てられてしまっているかもしれません。
SF的ですが、
もしかしたら我々人間も、先人の知恵を「取り出す」ことができず、
知らないうちに貴重な情報を捨ててしまっているかも、しれません。
これはとても勿体無いことだな、と思うんですね。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私達も、情報を流通させる、届けるということにこだわっている会社です。
情報の「取り出しやすさ」について、今後も頭をひねっていきたいなと、考えています。
そんな新舘の今日のオススメは
ブログホームページ制作・Socio Press!