耳の痛い話
前回、株主さんとの話を通して、言葉と行動について書きました。
そのときに思った、「なんで我々は耳の痛い話をわざわざ聞きたがるんだろう」ということについて書きたいとおもいます。
わざわざ叱られるために人から話を聞くというのは、たぶん誰にとってもあまり
気分の良いものではないと思います。
なんで、苦しいことをあえてやるように、人間っちゅうのはできているんだろう?という疑問が生まれます。
(苦しいことがキモチイイ人種もいるんだ、という話には触れません。その人にとっては、そもそも キモチイイわけですから、今回はそういうことについての話ではありません・・)
苦言・箴言を好んで聞くという態度には
すくなくとも私にとっては、二つの意味があります。
一つは、「もっと苦しいことを避けるため」に、苦しいことをする、というものです。
だれでも注射を受けるのは(痛いので)いやなものですが、「注射をうけなければもっと苦しいことになるだろう」と頭で分かるから、苦しみを我慢するわけですよね。
(筋トレなども一緒ですね)
苦言もそれと同じで、「ここでお叱りをうけておかなければ、自分はヘンテコで小さい人間になってしまいそうだ」と想像できるからこそ、聞けるんだとおもいます。
そういう意味では、未来に対する想像力が必要ですね。
余談ですが、あまり体調のよくないときは、人からあえてお叱りをうけることをおすすめしません。インフルエンザの予防注射といっしょですが、少しは物理的ダメージもあるので。
二つ目には、相手の考え方や本音を知りたい、リアルなつきあいをしたいという気持ちがあるようです。
たとえいやなことを言われても、うそをつかれるよりはよっぽど嬉しい。
加えて、苦言というのは、云うほうにとっても割りとしんどいものです。そういうことを云って貰えるというのは、
なかなかないことなので、それもうれしいんですね。
「しるコト、よいコト。」ではありませんが(宣伝・・・)これからも心がけていきます。
死んでくれ、というたぐいを除けば(死んでは改善しようがないので・・:-) これからも皆様、
どしどし苦情・苦言・箴言をお待ちしております。
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投稿者 shindate : 2006年06月28日 00:00
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